曰記

曰記

2019年3月13日

このエントリについて

2019年3月一杯で物性研究所を退職します。いわゆる「退職エントリ」という奴です。こういうのは有名な人がやるもんだと思いますが、現職のウェブサイトのサーバがもうすぐ消えてしまうため、その前にお知らせと、現職でお世話になった方々のお礼をどこかに書いておこうと思いました。

地球シミュレータ

もうだいぶ前になりますが、2003年4月に地球シミュレータを使うプロジェクトに参加することになりました。地球シミュレータはその一年前から運用を開始していたスパコンで、二位以下のスパコンに圧倒的な性能差をつけてデビューし、その後しばらくTOP500の一位の座にとどまりました。私は当時、物性研や筑波大のCP-PACSなどのスパコンを使っており、地球シミュレータを使うプロジェクトでもそれなりの貢献を期待されていたと思います。

しかし、当時の地球シミュレータはオンライン接続が許されず、新杉田にある端末まで出向いて使う必要がありました。当時、私はD3で、学位論文を仕上げながら地球シミュレータ向けの開発を行う余力はなく、結局ほとんどプロジェクトに貢献できないまま卒業することになりました。

名古屋大学(2004-2008)

学位取得後、名古屋大学で助手(後に助教)になりました。着任した年の11月、地球シミュレータはTOP500の一位から陥落しました。名古屋大学のポストは任期がなく、かつ助教といっても研究室に所属しているわけではなく、ほぼPIとして自分の研究を進めることができ、雑用もほとんどないという、研究職としてはこれ以上ない極めて恵まれた職場でした。

私がそのようなポストにつけたのは幸運だったと思いますが、ずっと「世界一のスパコンを使う機会を活かせなかった」という悔しい思いを引きずっており、「次の国策スパコンは絶対に使いこなしてやる」と思っていました。

東京大学情報基盤センター(2008-2010)

そんな中、学位論文の指導教員である伊藤先生が、5年で10億という大きな予算を獲得し、「プライベートスーパーコンピュータを買い、スパコンをバリバリ使うプロジェクトを立ち上げるから東京に戻ってこないか」と声がかかりました。

私はこの誘いに応じ、このプロジェクトを進めるために東京大学情報基盤センターの特任講師となりました。2008年8月のことです。当時、任期がなく、かなり恵まれたポストを捨てて、任期付きの職に異動したことで、「名大でなにかあったのか」と言われることがありました。しかし、さきほど書いたように名古屋大学の研究環境は非常に恵まれており、同じ学科の人も事務の方もいい人ばかりだし、名古屋の食文化1が合っていたこともあり、名古屋には良い思い出しかありません。しかし、「地球シミュレータを使いこなせなかった」という悔しい思いが強く、「大規模予算プロジェクトで任期付きというプレッシャーの中で自分に喝を入れよう」と、任期付きポストへの異動を決めました2

情報基盤センターでは円周率で有名な金田先生のお世話になりました。ここでスパコンの調達に関わったり、大規模並列実行が可能な分子動力学法コードを書いたりしました。5年プロジェクトでしたが、ギリギリになって行き先が決まらないと困るので、早めに公募に出し始めたところ、物性研に採用していただくことになりました。

東京大学物性研究所(2010-2019)

現職は、東京大学物性研究所附属物質設計評価施設の助教です。いわゆる「スパコン助教」と呼ばれる役職で、物性研スパコンの調達、運用をしながら自分の研究も進めるポストとなります。このポストに着任したのは2010年8月ですから、8年半ほど勤めていたことになります。物性研スパコンは5年に一度リプレースをするのですが、それ以外に「戦略利用スパコン」という、ミッションを持ったスパコンを別に調達することになりました。結局、物性研では3つのスパコンの調達に関わりました。巨額な予算の物品の調達に関わることができたのは貴重な経験になりました。

物性研に着任してわりとすぐ、東日本大震災がありました。柏も強く揺れ、地震を検知したスパコンは緊急停止しました。その後の電力不足でなかなかスパコンを復旧させることができずに苦労しました。また、当時は息子が生まれたばかりでいろいろ大変でした。

神戸(2011年4月-10月)

さて、2011年4月から、文部科学省による「HPCI戦略プログラム」というプロジェクトが走り出します。これは「京」を筆頭とした日本のスパコン・インフラを使いこなすためのプロジェクトで、物性研は5つに別れた分野の「分野2: 新物質・エネルギー創成」の代表機関となりました。当時、「京」は神戸で試用期間に入っており、物性研はそれを使うために「神戸分室」を作ります。最初は助教が毎週交代で神戸分室に詰めていたのですが、あまりに非効率的なのと、試用期間中の「京」をガッツリ使いたいという気持ちから、特にお願いして家族と一緒に半年ほど神戸に詰めることにしました3。ここで「京」の運用や開発の方と直接お会いしてミーティングができたことは、その後「京」を使う上で大変役にたちました。

「京」ルノードへの道

「京」の試用期間が終わり、私達家族も柏に帰ってきました。その後、「京」の一般課題に採択され、ようやく「国策スパコンを使う」機会を得ました。私は「京」を使って多重気泡生成シミュレーションを行い、その結果はAIP(米国物理学協会)からプレスリリースされ、スミソニアン博物館から取材を受けるなど、大きな反響がありました。また、その後「Gordon Bell賞」に挑戦するため、さらにチューニングをして「京」ルノードの計算を実行しました。残念ながらGordon Bell賞に応募した論文はrejectされましたが、その成果はSC15のポスターに採択されました。2004年、地球シミュレータのアカウントを取得しながら全く使いこなせずに悔しい思いをしてから実に11年がたち、ようやく「国策スパコンをそれなりに使ったな」と思うことができました。

二度の所長賞

物性研では普段の業務の他に、いくつかの業務改善をしました。1つ目はポスターボードの購入です。それまで、物性研で研究会をしようとすると、地下1Fにある死ぬほど重いポスターボードセットを6Fまで運んで組み立てる必要がありました。ポスターボードはベース、ポール、ボードからなり、極めて頑丈で重く、一人での作業は無理です。研究会が終わるとまた、全てばらして地下に運ぶ必要がありました。わりと頻繁に研究会があるのにこれはあまりに非効率的だと、所長裁量経費による軽いポスターボード購入を提案しました。加藤先生のご尽力もあって無事に購入が認められ、キャスターのついた組み立て済みのボードを6Fに置くことができました。これは一人で10枚くらい運べる軽いもので、ポスターセッションの準備が10分ほどできるようになりました。これはおそらく私が物性研にした最大の貢献だと思います。

また、物性研には物性研究所所長賞というものがあります。所長賞には独創的な研究を顕彰する「ISSP学術奨励賞」と、技術開発や業務改善への貢献を顕彰する「ISSP柏賞」があります。私は「京」を使った多重気泡生成シミュレーションで学術奨励賞を、ストックルームという内部システムの開発で柏賞をいただくことができました(こちらはチームでの受賞)。両方受賞したのは僕だけだそうです。私は「研究者」と「エンジニア」の両方のアイデンティティを持っていると思っていますが、その両方を評価していただけたようでとてもうれしく、また光栄に思います。

数独

2013年3月、「世界で一番難しい数独」というウェブ記事を見かけた私は、独自の難易度を定義して、スパコンで力任せに数独の難しい問題を作りました。交換モンテカルロ法という数値計算手法の練習のつもりでした。そこそこ良い結果がでた気がしたのでarXivに論文の形で投稿したら、(悪い意味で)大きな話題になりました。スパコンで作った「難問」が、すぐに人間に解かれてしまったのです。これは難易度の定義に問題があったのが原因でした。

そこから、「今度こそスパコンで本当に難しい数独を作るプロジェクト」を立ち上げて、協力者も募ってずっと取り組んでいたのですが、残念ながら力及ばず、物性研在籍中に「世界最難問」を更新することはできませんでした。これはライフワークとして、これからも取り組むつもりでいます。

慶應義塾大学(2019年-)

4月から慶應義塾大学に異動します。理工学部物理情報工学科にて、研究室を運営することになろうかと思います。

最近、優秀な若い人を多く見かけます。高校生がブラウザやOS、ハイパーバイザまで作ったり、「優秀な人だなぁ、Googleのシニアエンジニアとかかな」と思ってた人が修士の学生さんでびっくりしたこともありました。我々世代と違い、小さい頃からネットにつながっており、その気になれば最先端の論文でも世界最高峰の大学の講義ノートでも参照できる環境で、どんどん自主的に学習し、成長し、「つよく」なって行く若い人たち。未来は明るいです。

そのような優秀な若い人々に、私がなにか指導したり教えたりできることがあるだろうか、と思ったりもしますが、一緒に学び、一緒に研究していこうと思います。また、物性研では講義はもっていませんでしたが、講義をするのは好きなので、これも今から楽しみです。

優秀な若者たちと、優れた技術で全力でアホなことをやり、それを「アホだなぁ」と笑いながら、「なにかを創り出して世の中に出した」ことを称え合う、そういう楽しいラボにできたらと思っていますので、進学の際には私の研究室を選択肢の一つとして検討していただければ幸いです。また、学生さんには未踏やセキュリティ・キャンプにも是非挑戦して欲しいと思います。将来、私の研究室から未踏のスーパークリエータが出たりしたらうれしいです4

最後になりましたが、物性研の皆さんには大変おせわになりました。特に川島先生をはじめとする川島研の皆さま、秘書の皆さま5、調達その他でお世話になった情報技術室や事務の皆さま、皆さまのおかげで楽しい研究生活を送ることができました。ありがとうございます。


  1. 名古屋は手羽先やひつまぶし、きしめんなどが有名ですが、それ以外でも美味しくて安いものが多かったです。また、名古屋の食文化と言えば外せないのが「マウンテン」でしょう。名大から歩いていけることもあり、一度だけ登山したことがありますが、あやうく遭難するところでした。

  2. 当時、まだ子供はいませんでした。子供がいたらこの選択はしなかったと思います。

  3. フラワーロードにあるウィークリーマンションを借りました。神戸は坂が多くてベビーカーを押すのが大変でしたが、見どころも美味しいもの多く、良い街でした。

  4. 私は未踏ユースのスーパークリエータです。

  5. 秘書の皆様には、私の子供たちが物性研にお邪魔した際、とてもよくしてくださって感謝しております。